僕が塾講師でなくなった理由

みなさんこんばんは。今日はずっと書きたかった教育について書きます。

なぜかというと、実は最近家庭教師の営業の仕事をしているのですが、ある家庭の訪問時に

「数ある家庭教師会社の中で私どもを選んでいただいた理由ってなんですか?」

と聞くと

「昔、上の兄弟が教わっていたのだけれど、学生にも関わらず、本当に丁寧に丁寧に真摯に子供と向き合ってくださったんです。雨がとても強い台風の日も一度も休むことなく。だから、下の子も教わるなら是非もう一度この会社で、と思ったのです。」

この言葉がこの記事を読んでいる人に僕以上の衝撃を与えることがないだろう、ということがとても残念でなりません。

この言葉の衝撃を感じられるのは教育業界に長くいる人間でなければわかるまい。

この発言を親に言わしめるのは簡単なことではないのです。

そのお母さんはとても誠実な方で見識も広い方だったからというのもあるが。

しかし、一学生がこの発言を絞り出すのは不可能に近いことだと思う。昔似たようなことを僕も言われたことがあったが、それよりも重いように感じました。

その学生講師は女性だったと聞く。一体どんな講師だったのかとてと気になるがその前に僕はどんな講師だったのか思い出したくなりました。

塾講師という自分

自分はおしゃべりが好きで目立ちがり屋。大勢の前で偉そうに喋るのが好きです。

それと、なんとなく黒板の前に立つことに憧れて(そうはいっても小中高とホワイトボードで授業、塾もホワイトボードと黒板とは無縁の生活でした。笑)、なんとなく時給高いので塾講師を始めることにしました。

結果から言うとこの選択は大きく僕の人生を左右する経験に出会うことになります。

が、それも書いてしまうと長くなるので今回は所々省略させてもらいます。

塾講師という仕事

僕は上司にさえタメ口をきくくらい塾講師を舐めきっていた。母がその筋の仕事をしていて悪口を聴きまくっていたからかもしれない。

しかし、母の職場と僕の職場は違いました。
その職場は色々なことを教えてくれました。

『サービスとはスピードと気遣いである』

このフレーズは僕と就活の話をしたことのある人は聞いたことあると思います。

これはその職場で教わったことで、僕の仕事というものに対しての考えにおける考えの根幹を担っています。

また、その職場には教育を、真剣に考え生徒や保護者と向き合う姿が多く見られ自然と触発されていました。

その先輩や同期を見て僕は4年間塾講師を続けよう、いつかこいつらをアッと言わせる成果を出してみせる。

我ながら当時の自分は熱意に燃えていたと思います。

成長と破滅

しかし、2年目には僕は成長するとともに腐っていきます。

当時入ってきた後輩は全世界驚愕の勢いで仕事ができなかったし、尊敬していた上司や先輩はみんなその職場を離れました。

しかし、こんなものに負けていられない、俺は俺の仕事をするしかない。

と決意し、1年間働きました。

『生徒を囲うな、生徒は講師の所有物ではない。生徒は実力で惹きつけろ』

『単元は授業で完結させろ。宿題を多く出せば良いと思うな。それは自分が授業時間内で教えきれませんでした、と露呈するようなものだ。』

『生徒と同じくらい保護者を大切にしろ。お母様とは口説くくらいの勢いで接しろ。』

『電話は鳴った瞬間に取れ。その間に相手は2コール待っている。3コール目を待たせたらおしまいだと思え』

『生徒を第一に考えろ、生徒が正義だ』

全て先輩や上司から教わった言葉です。

後半は表現が過激ですが言わんとしていることはすごくよくわかります。

また、これだけは言えますが僕は去年あの職場で教育を含む、生徒や保護者に最も真摯であった自負があります。

そしてそれは結果に現れます。
2016年最も結果を出したのはアルバイトの中では僕でした。

もちろんその職場だけでなく他の校舎と比べても僕の出した結果は異次元だったと思います。

しかし、成長と破滅はコインの裏表のように表裏一体で、片方があればもう片方も存在するのです。

『僕はもうこの校舎の誰よりも優秀だ。もう僕は1人でやっていける。』

この自信はある種の破滅だったのだと今は思います。

こうして馬場航という塾講師はいなくなります。

教育は難しい

僕の言いたいことはこの一言に尽きます。

僕はどれだけお金を積まれても教師になる気は1ミリもありません。

よくこう言うと僕を良く知る人からは

『そうだな、お前には明確な法曹になるという夢があるからな』

と言われますが、そうではありません。

恐らく、僕が教師という職を選べば実力的にいうと全教師人口の1%以内に入れると思います。

ただ、僕は破滅した時にこうも思ったのです。

『しかし、今の教育システムでは大多数の生徒が不幸になってしまう。俺の生徒をシステムのバグにはさせたくない。』

だから僕は塾講師をやめました。

どんなに優れた講師になっても俺は全員の生徒を幸福にすることはできない。

ある意味で破滅というのは同時に挫折も意味していました。

成功したのに挫折なんて少し矛盾してる気もしますが。

一部の生徒や保護者の方から「先生が辞めてしまうのであればうちも辞めます」

と言われてしまったことも後日談としてある。

そんな感じで今は家庭教師の生徒が2人いるだけです。

教育には正解らしく見えるものが存在しますが、それは正解ではありません。

ここで最初の話に戻りましょう。
僕は「昔馬場という先生に教わっていて、すごく良かったからまたこの校舎を選びました」

と言ってもらえるような講師だったのか今となっては確かめようもない。

ただ、僕がいるから続けてくれる生徒や信頼してくださる保護者の方はいても、その校舎のブランドを背負えるほどにはなっていなかったような気がする。

だからこの言葉を聞いた時すごくハッとした自分がいました。

よく、塾講師をしていたと言うと、塾講師は良く高時給の割に時間外業務が多くて大変だよね、という話をされました。

しかし、それは時間外業務も含まれている、付随しているからこその値段なのだという風に思います。

そこには責任がある。だから塾講師は授業内ではもちろん、その他の場所でも最高のパフォーマンスをすることを強いられているのです。

そのサービスにお金を頂いているわけですから。

ユニバーサルアクセスが当たり前になってきた現在、勉強と人生は切っても切り離せない関係にあります。

人の人生を背負うというのは簡単ではないのだと思います。だから高い時給で働けるのです。

まあ、ここまで責任だなんだと言っていますが、僕はブラック万歳なので結局の所楽しんでいた、というのが大きいのかも知れません。笑

あと、最後まで残ると仕事場の同期や先輩とかとご飯食べに行けましたし、いいリフレッシュになっていましたし。笑

今、あの校舎はどうなっているのだろうか。
およそ5ヶ月ぶりぐらいにふと思いました。