僕と塾講師

 

僕と塾講師

 

僕にとってこの時期は【受験シーズン】だ。受ける側も受けさせる側も経験した。

 

僕は去年中学受験生の国語を担当していたのだが、私立中学の入試クラスと、公立中学入試クラスの両方を教えていた。(あまり馴染みがないかもしれませんが、今は国公立の中高一貫校があって受験をするのです。)

 

どちらも簡単ではない。特に後者の公立中高一貫はここ数年で始まった新しい試みで、学費の安さ等が相まって倍率は10倍近いものになる。

 

システムや科目などもかなり違う(ここでは割愛するが、例えば公立中高一貫は一発勝負で滑り止めが受けられないのだ。)ので、必然的に僕の手は結構回らないでいた。

 

僕はどちらかというと公立中の方に力を入れていた。
なぜなら、私立中学の方は国語の先生が俺を含めて2人いたし、経験豊富な先輩方がいっぱいいたからだ。


しかもその先輩は全員4年目で、生徒を送ると同時に自分らも卒業という人たちだった。

僕は私立中学の指導をする中で
『あれ?これおかしくないか?』
と思うことはあってもあえて口出しはしなかった。なぜなら、先輩がやりたいようにやるのが正しいことだと思ったから。きっと、何か意図があるんだろう。だからひたすらサポートに徹した。

 

小テストが何枚かあれば、すべてやると授業の半分であるおよそ45分かかるものであっても、僕の授業時間を割いて行った。

 

どういう結果に終われど、その責任と成果は先輩が負うべきだと、そう判断した。

 

言い訳はいくらでもあった。
先輩方は4.5年生の時から彼らを指導していて信頼は厚い。およそ、ぽっと出の僕が生徒に何か言っただけで混乱させてしまうのではないか、という不安があった。
うまく信頼関係を構築することもできなかった。

 

答え合わせ

 

そしてこの時期が来る。ちょうど一年前だ。

 

この時期は【答え合わせ】のような期間だ。

今まで自分がやってきたことが正しかったかどうか。塾講師として試される。

 

今でも覚えている。無事、受かって喜んでいる横の教室では、僕らが指導した子と保護者が目の前で泣き崩れていた姿を覚えている。
『滑り止めも落ちちゃった』
『あんなに頑張ったのに』

 

今でも覚えている。僕らに生徒を託した上司や先輩たちの呆れた目を覚えている。
『あいつが○○中学??ありえないでしょ』
『今年の校舎は弱気だねぇ』

 

なんだこれ?
少し悩んだ。考えた。
しかし、もうどうでもよくなっていた。
僕は逃げの選択肢をとった。

 

『なんの権力もない俺はどうすれば良かったんですか?』

 

塾講師、やらないと


この話はもう少し続く。
中学受験の失敗を報告しにきた親子に
『まあ、公立中高一貫は難しいですから。この経験を活かして高校受験でリベンジしましょう!(受かるかは知らんけど。)こちらが資料で...』

 

嘘だと思うでしょ?
僕はいったんだ。今でも保護者のあの批難に満ちた目を忘れられない。
およそその目は『あなたは人間じゃない』と言いたげだった。

 

『確かに。そうだよ、俺は塾講師だ。』

 

塾講師は人間にはできない。
塾講師は神でなければならないと思う。
なぜなら、塾講師は教育者ではないから。

塾講師はビジネスマンなんだと思う。


だから、生徒の利益が会社の利益と衝突するような時は、生徒の利益よりも会社の利益を追求しなければならない。

それが塾講師の仕事、使命だから。というか、社員にもそうしろと言われましたからね。

悲しいけど、これが現実だと悟った。納得してしまった。
大人のエゴの犠牲になっていく生徒を見てはいられなかった。

 

僕は時たま思う。

 

『生徒の不合格は教師のエゴから生まれたものであっていいのだろうか?』

 

僕はいいわけないと思う。
それは『うちの子を合格させてください。』
ってお金を払ってくれた保護者の謀反に他ならない。

だから僕はこの矛盾に満ちた環境を脱したいと思った。

 

今でも振り返る。
あの選択は正しかったのか。
僕は正しかったと思う。

 

 

 

 

 

なぜなら、俺のせいで不幸になる生徒はもう生まれないのだから。