僕は次世代のチャーリー・パーカーを作りたかった

 

こんばんは、馬場です。

みなさんは、天才と感じる人が周りにいますか?

僕は男女ともに生涯で1人ずついます。片方は紛れも無い天才と言えます。

今日はそんなお話。

 

※今回は映画『セッション』のネタバレを多分に含みます。まだご覧の方は【Amazonプライム・ビデオ】でご覧になれますので是非ご覧になってから、読んでいただけると嬉しいです。
※ネタバレさえ嫌われなければご覧になっていなくとも読み進められます。

 

 

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本作のあらすじ

 

アンドリュー・ニーマンは19歳のジャズ・ドラマーである。若くして才能に恵まれるニーマンは、バディ・リッチのような「偉大な」ドラマーになることに憧れ、アメリカで最高の音楽学校、シェイファー音楽学校へと進学していた。壮大ながらも獏とした夢を抱え、日々孤独に練習に打ち込んでいる。そんなある日、シェイファー音楽学校の中でも最高の指揮者として名高いテレンス・フレッチャーが彼の学ぶ初等教室へやってくる。ニーマンの卓越した演奏はフレッチャーの目を引き、彼はシェイファーの最高峰であるフレッチャーのスタジオ・バンドに招かれる事になった・・・

 

(作品のWikipediaページより)

 

 

天才は潰える

 

もっともフレッチャーはドのつく鬼教官だったのだ。

恫喝・暴行は当たり前。

生徒をうつ病に追い込み自殺させたこともあった。

それでもフレッチャーが学校から追放されなかったのはフレッチャーのバンドが常に一流だったからだ。それはフレッチャーの功績に他ならなかった。

 

しかし、ニーマンもフレッチャーの犠牲の例外ではなかった。

彼はある日フレッチャーの要求に応えるため、無理をし交通事故に巻き込まれてしまう。

そして、ニーマンはドラムをやめ、退学処分を受ける。

 

数週間が経ち、ニーマンとフレッチャーは偶然再会し束の間語り合う。そこでフレッチャーはなぜそこまで自分が厳しく指導したのか語った。

 

『偉大な音楽家を生み出したかった。チャーリー・パーカーのような本物の天才を。でも私は失敗した。』

 

これを見たときの僕の気持ちだが、

わかる〜!!!!!

だった。僕も天才を生み出したかった。

 

天才は育てられなかった

 

天才とはなんだろう?天才の定義とは?

・書物をパラパラとめくるだけですべて暗記するような異能の持ち主

・ずば抜けた知能指数の持ち主

・世の中に圧倒的イノベーションを起こす自らのイマジネーションを具現化できる才能の持ち主

etc....

 

さて、僕の場合の天才の定義は天才を生み出したかった分野で定義したい。

僕は昔塾講師をしていた。 この分野で天才を生み出したかった。昔書いたことがあるが、僕は普通の科目の受験指導をしていたわけではない。

小学6年生に小論文、資料分析といった21世紀的思考を身につけさせ、倍率7-10倍の試験を突破させることが僕の仕事だった。

回りくどくなってしまった。僕の生み出したかった天才とは、

『どんな問題が出題されようと、時間内に完璧に対処し100点満点の解答を出せる生徒』

 

・・・いや、もっと答えはシンプルだ。

 

『僕の予想を常に超える生徒』

 

これを生み出したかった。でもそんな者は生み出せなかった。

何をもって予想を超えたというか。難しい問題じゃない。

僕の予想外の質問とか僕の予想もしない圧倒的な成績を残すだとかそんなものを期待していた。その程度で良かった。

 

だが実際2年間指導していてそんなことはただの一度も無かった。

予感すらなかった。ただの一度も。

 

僕は改めて痛感した。僕に教師としての才能は無いのだと。

僕は無能だった。

僕もフレッチャーと同じだった。

 

最後に

 

天才は作れないのだろうか?

僕は可能だと思う。

次世代のチャーリー・パーカーは必ず作れる。

オチがつかなくなってしまった。

 

天才ってカッコいいよな。

 

以上