女子高生は文化祭でこれをやれ!(考察編)

みなさんおはようございます。夜に投稿してるかもしれませんがおはようございます。

僕は徹夜でポケモンの世界大会(@アナハイム)の様子を見ているので昼夜逆転状態です。

眠い。

文化祭の出し物

さて、最近意識高い話題ばかりだったので、今回はそんな意識高くない話をします。

ことの発端はまたしても僕の生徒。

生徒『文化祭の実行委員長になった!暇だったら来て!』

僕『いいね!(絶対行かないけど)クラスの出し物とかあるの?』

文化祭という響き。学生の特権です。特に僕は準備期間の非日常感がとても好きでした。

そんな回想を頭で繰り広げていると女子高生からとんでもない解答が返ってきました。

生徒『ラーメン!』

、、、え?は?

なにを言ってるんだこいつは?

ラーメンという不合理な選択肢

全く理解できない。

彼女が女子校に通っているという情報を重ね合わせるとなおさらだ。

あまり話を聞いていないからなんとも言えないがラーメンほど文化祭の出し物として不合理なものは無いと思います

文化祭の開催日は9月の中旬〜終わりの頃。そろそろしつこい残暑も終わろう頃にワザワザ熱い窯の前に何時間もいるというのかこいつは。

オマケにラーメンは思いつく飲食系の出し物の中でもめんどくさはトップクラスだ。(麺だけにね。)

例えば、同じ麺類の焼きそばを例に取ろう。

焼きそばであれば、

ソースと一緒に具と麺を炒める→プラ容器に打ち込む

と、わずか2手で完成するのに対して、ラーメンは

麺を茹でる→茹で上がりを待つ→麺を盛る→具を盛る

という4手もかかる。

工数だけ見ても2倍なのに対して単価は恐らく同じくらいでしょう

オマケに焼きそばは持ち運びがしやすいし、ある程度冷めても美味しさはまあまあ期待できます。

しかし、ラーメンは麺の伸びと闘わなければならないし、冷めてしまったら温め直す手段などないし冷めたラーメンなんて絶望しかない。

ここまで言えばラーメンという選択肢の不合理さは分かってもらえました。

じゃあ、なにやればいいの?と言われそうなので考えてみたい。

女子高生の文化祭、出し物の正解は?

というわけで女子高生は何を文化祭で出店するべきか。考えたいがその前に前提を示したいと思います。ズバリ、

・収益を見込めるもの

・女子高生というブランドを活かせるもの

この2点に絞っていきたい。真っ先に僕が思いついたのは、メイド喫茶です。

うん、すごく儲かりそうで女子高生というブランドを活かせるぞ!

2秒で思いついたこの案。実はよく考えると収益の面からみてあまり現実的じゃない。

1点目、初期投資が高くなりがちな点です。衣装、料理設備、食材、教室を飾り付けるコストを考えだすと止まらない。

2点目、回転率が鬼悪いメイド喫茶の致命的な点がこれでしょう。単価をある程度高くしても許されるのですがそれを差し引くと、時間と収益の関係がトントンかそれ以下に落ち込んでしまう。

だめだこりゃ。飲食系に目を戻しましょう。

粉物最強説

やっぱり粉物が最強なんじゃないですかね?

原価に対して定価が30倍くらいあるって話を先輩から聞いたことがあります。

実際それくらいはあると思いますし、何しろある程度作り置きもできますし、回転率も良いでしょう! 

見つけた !これが答えだ!

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(深夜テンションで喜ぶ。)

女子高生は文化祭で粉物をやろう!これだ!

ん...??

あっ...!!

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...が!ダメッ!

条件を満たしていない!粉物という答えは不完全!

女子高生でなくても良い!活かしていない!ブランド力!

ちくしょう!考え直しだ!(自分で自分の首を絞めてしまった)

なんか凄くつまらない答えにたどり着いた

そもそも女子高生の良さって何...??どれ??

まず若さだろう。生徒の若々しさにはいつも驚かされる。

というか、制服を着た女子高生というのが1つのコンテンツみたいな所あるからな。

つまりは彼女ら自体に価値があるのだからそれを上手く組み合わせられれば良いのかもしれない。

スタバの話を思い出す

上の問題を解決するために少し寄り道をしたい。

みなさんは不思議に思ったことがありますか、jkがやたらスタバを好きな理由

なんでコーヒーだけはこんなにも一党独裁なのか。

もちろん僕はドトールのホットドッグがとても好きだし(ドトールのホットドッグはかなりこだわって作られている)、上島珈琲店のココアもクリームがいっぱいでおいしい。

しかし、スタバのjkへの影響力は絶大だ。(どれくらいかっていうと、スタバをご褒美に設定したら3.1しかなかった評定が4.1になるくらいには影響力はある)

チョロすぎない?

スタバをの創設者シュルツは他のコーヒー点と競うにあたって、価格ではなく雰囲気で勝負しました。

店内の内装、『呪文』と揶揄される4種のサイズ、他の店にないような軽食の数々。

こうしてシュルツはスタバの入店経験を特別なものにしました。要するにストーリーを売ったのです。(この話はダン・アリエリーの『予想通りに不合理』という本に詳しく収録されているので気になったら読んでみるといい。)

この話から分かるのは女子高生もシュルツと同じことをすれば良いわけだ。

もう少し粘ってみよう。

結局何!?

彼女らの存在自体に価値があるんだから、極論から言えば彼女らな何らかの形で関わっていればいい。

メイド喫茶はある種、彼女らの姿が見えやすく役割がハッキリしている。だからウケるわけだ。

例えば、麺を切るところからやってみて、長さや太さがまちまち、みたいに彼女らが関わってることが目に見えて分かるとすごく良い。(なんならその過程すら見せてやればいい。銀だこみたいにね。)

これをレストランでやると怒られる。日常であるレストランに我々が求めるのは普通であることだからです。

しかし、文化祭は非日常です。来場者は全く逆を求めてくるからそれがむしろ歓迎される。

他にもコスプレしながら売るだとか、品を持ってきたjkが一緒に何か話しながら食べてくれるとかね。

多分こういうのはあまりないから上手く集客できればめちゃめちゃ儲かりそう。何よりやってる方も楽しめるしね。

終わりに

というわけで考察編はここまで。

そう。確認編もありますよ。1か月くらい先になるけどね。

では、またお会いしましょう。

 

 

 

親の教育という選択肢

みなさん、こんばんは。馬場です。
全世界驚愕の更新間隔になりました。

なぜかというと、前回のブログを書いたときに内容と全く関係ない今回のタイトルのような言葉と共にfbでシェアしたら、「全く関係ないじゃないか!」と恩師から言われてしまいました。

確かに。

と、いうわけで今回は保護者について書いてみたいと思います。(僕も実は思うところがある。)


なぜ今、親なのか。

なぜ、親について何を書くのか、と。そんなもの必要なのか?と言われてしまうかもしれません。

しかし、教育にかかわる仕事をしている中で「いい生徒なのに、親が残念な家庭だなぁ。」と思ったことは悲しいことにありました。

塾講師時代、このことに関して僕はかなりドライだったと思います。

「別に、退塾させなきゃいいだろう。」あくまでも校舎の利益のために努力していました。(あと、家庭の教育事情に突っ込むのは学生風情がやるとクレームの元になると考えてた。)

しかし、親には教育を受けさせる義務があります。

僕は教育とは「環境を提供すること」だと考えています。だからその提供者の一人である親の議論は欠かせないのです。

悲しい親『ウチの息子はホント馬鹿で、、』編

この言葉、ホントによく聞くけど聞くたびに、

ふっざけんな!

って言いたくなります。(流石に言わない)
自分の息子の可能性を産んだ親が否定するなんてありえないでしょ。

それに、もしホントに馬鹿だとしたら馬鹿にしたのはどこのどいつだ!
学校?違うでしょ!!!!親であるアンタだぜ。

こういう親に限ってまた的外れなことを言う。

『この子宿題やらずに外で遊んでばかりで、、』

なにが悪いんだこの野郎!小学生なんて外で遊んでる方がいいんだよ!

宿題をやらないのは生徒の責任じゃなくて、教師が無能なだけなんです。(これマジで。教師やってて宿題やらない生徒を怒ってるそこのあなた。的外れもいいとこだぜ。)

もちろん、毎日宿題をやる程度の学習習慣なんて正直塾に行く必要皆無です。(両親が共働きだとかいうならしょうがないけど、実はそういう家庭の方が頑張って勉強を見る時間を作ったりしている。)

あと、このような保護者に多いパターンが、さっき出した宿題の例のように、なんでもかんでも子供のせいにする。
子供のせいにするのも許せないが、さらにはそのことで理不尽に怒りだす。

 

勘弁してくれ!!!!

 

それ俺らの仕事!!!!

 

子供は親の理想を叶える機械ではないですよ。
子供のやりたいことをやらせてあげましょう。

 

僕の考える理想の親像

さて、色々親についてぐちぐち言ってきましたが今度はどのような親が理想的か考えたいと思います。

エドワード・ザッカーバーグが僕の中で理想的な父親像と言えます。

誰だかお分かりですね、FBを作ったマーク・ザッカーバーグ父親です。

マークは四人兄弟ですが、実は他3人は女の子だったため「プリンス」と呼ぶほど可愛がっていたそうです。

しかし甘やかす裏に真の教育が潜んでいたのです。

 

-ある日-

マーク『パパ、バスケットボール欲しい。』

エドワード『どうしてだ?』

マーク『友達のジョンが買ってもらったって言ってたから。』

エドワード『それじゃあダメだ。』

 

-また別の日-

マーク『パパ、フェンシングを始めたい』

エドワード『どうしてだ?』

マーク『強くなりたいんだ』

エドワード『ようし、わかった』

 

-翌日-

エドワード『フェンシングの用具、買っておいたぞ』

マーク『ありがとう!』

エドワード『よし、ちゃんと頑張るんだぞ』

というエピソードがあります。

息子との対話を通して取捨選択を適切に行い、息子の本気度を確かめながら教育を施したのです。

他にも当時としては珍しいコンピューターに息子が興味を持ったらコンピューターの専門家を家庭教師として雇い、息子の好奇心を煽り、徹底的に環境を与えアシストして見せたのです。(そんなマークは一年で家庭教師を追い抜きます)

もちろん、このようなことをどの家庭もができるわけではないと思います。

しかし、僕は親と子の関係は教育においてこのように、『子供の知的好奇心を刺激する』ようにあるべきのように思います。

難題:親の教育意識改革

さて、ここからが難しい問題のように思います。

「この問題を親がどのように共有し、考えるか」だと思います。

現在「親のための教育ノウハウ共有会」みたいなものが開かれたとしてどんな人が集まるでしょうか。
おそらくエドワードのようなある種の知識人が集まるでしょう。

でもたぶんそういう会の目的はもっと違う層をターゲットとしているため結局目的を果たせない。
本末転倒のような状態に落ちいてしまうのです。
あまり抽象論に逃げるのは好きではありませんが、キーワードは「あるべきヴィジョンを見せ、共有する」だと思います。

これをよく現した例があります。
実は最近よく中学受験相談を受ける中で「大学受験がこの先変わるから、とりあえず大学附属の中学校に行かせたい」という話を保護者から聞きます。

この話を聞くたび「あー、なんも見えてねーなこの人。」と思います。
大学受験の変わり方を全く見えてない。

大学受験が変われば会社の就職等の環境と変わっていくと思わないのでしょうか?

それに加えて、とりあえず大学を出ておけば就職に困らないだろう、という短絡的な考え。

非常に残念ですが、大学を出ているからいい仕事に就けるわけではありません。
また、大学を出ただけで、安定した生活が得られないことは実は分かっている親もいるかもしれません。しかし「とりあえずここまですればよいだろう」という考えの元、子供が犠牲になる。

恐らくこういうことを言う保護者の多くは環境が変わることに対して、漠然とした恐怖感を煽られてしまっています。

それにより状況が見えていない、というよりむしろ見ない(目を背ける)という態度を取っているのでしょう。

このように保護者に対する啓蒙活動は必要なのですが前述のとおり、思いつく方法はどれも現実的ではありませんし、効率的でもないです。

あー!人生が2回あれば1回はもっと教育に充てるんだけどなー!
それくらい教育って難しい!!!

 

 

 

 

仕事でのコミュニケーションってお互い大事。

 

仕事ができないjkの話をしよう 

僕の生徒である彼女は碁を知らないほどのモノを知らない。

最近の女子高生としては普通だ。驚くかもしれないが、この「知らない」はルールを知らないとかではない。存在自体を知らない。

碁の挿絵つきの英文の「Go」という固有名詞に、【行く】とルビを振っていたのは一生忘れないだろう。

そんなわけで今日は僕と彼女のやり取りを振り返りながら仕事ができない多くの学生について諸々言いたいことがある。

①スケジュール管理がダメすぎる
まずは下のやり取りを見て欲しい。これは彼女が急な用事で家庭教師の予定を変更する際にしたやり取りだ。どの返事がダメなのか考えながら読んでほしい。

生徒『ごめん、今日急用ができて予定変更したい。』
僕『なるほど、来週のうち都合の良い日とかある?』
生徒『いつでもいいよ!』
僕『じゃあ、この日かこの日、この日の時間はどうかな?』
生徒『その時間は無理!この時間ならいける!』
僕『なるほど、わかった。また、都合ついたら連絡する』


ズバリ言おう。一言目の発言自体が問題だ。この一言目を工夫するだけでこの6手かかった会話(しかも解決してない)は2手で終わる可能性を秘める。

生徒『ごめん!今日急用で予定変更したい!この日とこの日ならこの時間!この日だとこの時間なら空いてるよ!先生はどう?
僕『なるほどこの日のこの時間ならいけそうだ。この日にしよう。』

これで終わりだ。
最初の発信を工夫するだけでお互い予定を瞬時にフィックスできる。僕としては家庭教師の予定などという考え事は1秒でも早く頭から放り出したいし、そんなものはiPhoneが勝手に覚えてくれて、その日になったらリマインドしてくれればいい。

みなさんはどうだろう。キチンと相手のことを思いやって発信しているだろうか。

 

②俺をGoogleのような検索エンジンと勘違いしている

教え始めの頃はよく
『○○○ってなに?』と経済用語とか日本史の用語の説明をさせられる。

言っておくが塾講師でこんなことにいちいち答える奴はド三流だ。

そんなものはggれ!ggれば解決である。

今の時代小学生ですらスマホをもっている。昔とは違い、インターネットに誰でもアクセスできる時代なのである。

そんな自分で調べられそうなことのために家庭教師にわざわざ聞くのは金の無駄というやつである。

また、そんな検索エンジンのような働きしかできない講師など詐欺師に等しい。

しかし最近彼女は成長してきた。

生徒『○○○って言葉の意味はわかるけどここの仕組みはよくわからないから説明してほしい』

これが正しい姿だ。
そして深い理解をしたものはキチンと身になるだろう。

③終わった後に質問する

1番イラつくやつ。

生徒『ここがどうやっていいか分かんなかった!』

僕『今言うな!なぜ質問しないんだ!?ggれば分かることを聞かないでそういうことを質問してくれ!』

ゼミの奴にもいたが、締め切り1日前になって『あれどうだっけ?』って聞くの勘弁してくれ。それぐらい最初に聞いておけよ。仕事する気あんのか。


一体なぜこうなるのか

まず1つ目としては相手のことを全く考えていないということがある。ついついそのように考えがちだが、相手と自分が同じ環境にいることは100%ありえない。①のように相手の時間をむやみに取るのはやめよう。


2つ目としてはこれはなんとも難しいが現在の教育制度に問題がある。
例えば夏休みの宿題などのシステムがそうだ。あのようなシステムを取ると、直前に仕上げれば良くなってしまうし、極端な話、夏休み毎日コツコツ積み上げた人間と8/31に全て鬼の形相で仕上げたやつと評価は変わらない。そのクセ、学校ではコツコツやるのを推奨する。

こんなシステムではコツコツやる人材が育つワケがない。

おわりに

繰り返しになるが僕は生徒の悪口を言いたいワケではない。今では彼女はこういったことは言われずともできる。そのおかげで成績も上がってきたし、恐らくそこらへんの大学生より使える人材になりつつある。

これを読んでいる読者もなにか宿題や課題などが出た場合は50%でも80%でもいいから中途半端なモノを何度も送って反応を見ろ!質問しろ!

ということを唐突に言いたくなった。


あー。早くゼミの同期(4名)から仕事の進捗こないかなー。なんの連絡も無いけど。勘弁してくれよ。これで100%のモノがくれば文句無いんだけどなぁ。

僕が塾講師でなくなった理由

みなさんこんばんは。今日はずっと書きたかった教育について書きます。

なぜかというと、実は最近家庭教師の営業の仕事をしているのですが、ある家庭の訪問時に

「数ある家庭教師会社の中で私どもを選んでいただいた理由ってなんですか?」

と聞くと

「昔、上の兄弟が教わっていたのだけれど、学生にも関わらず、本当に丁寧に丁寧に真摯に子供と向き合ってくださったんです。雨がとても強い台風の日も一度も休むことなく。だから、下の子も教わるなら是非もう一度この会社で、と思ったのです。」

この言葉がこの記事を読んでいる人に僕以上の衝撃を与えることがないだろう、ということがとても残念でなりません。

この言葉の衝撃を感じられるのは教育業界に長くいる人間でなければわかるまい。

この発言を親に言わしめるのは簡単なことではないのです。

そのお母さんはとても誠実な方で見識も広い方だったからというのもあるが。

しかし、一学生がこの発言を絞り出すのは不可能に近いことだと思う。昔似たようなことを僕も言われたことがあったが、それよりも重いように感じました。

その学生講師は女性だったと聞く。一体どんな講師だったのかとてと気になるがその前に僕はどんな講師だったのか思い出したくなりました。

塾講師という自分

自分はおしゃべりが好きで目立ちがり屋。大勢の前で偉そうに喋るのが好きです。

それと、なんとなく黒板の前に立つことに憧れて(そうはいっても小中高とホワイトボードで授業、塾もホワイトボードと黒板とは無縁の生活でした。笑)、なんとなく時給高いので塾講師を始めることにしました。

結果から言うとこの選択は大きく僕の人生を左右する経験に出会うことになります。

が、それも書いてしまうと長くなるので今回は所々省略させてもらいます。

塾講師という仕事

僕は上司にさえタメ口をきくくらい塾講師を舐めきっていた。母がその筋の仕事をしていて悪口を聴きまくっていたからかもしれない。

しかし、母の職場と僕の職場は違いました。
その職場は色々なことを教えてくれました。

『サービスとはスピードと気遣いである』

このフレーズは僕と就活の話をしたことのある人は聞いたことあると思います。

これはその職場で教わったことで、僕の仕事というものに対しての考えにおける考えの根幹を担っています。

また、その職場には教育を、真剣に考え生徒や保護者と向き合う姿が多く見られ自然と触発されていました。

その先輩や同期を見て僕は4年間塾講師を続けよう、いつかこいつらをアッと言わせる成果を出してみせる。

我ながら当時の自分は熱意に燃えていたと思います。

成長と破滅

しかし、2年目には僕は成長するとともに腐っていきます。

当時入ってきた後輩は全世界驚愕の勢いで仕事ができなかったし、尊敬していた上司や先輩はみんなその職場を離れました。

しかし、こんなものに負けていられない、俺は俺の仕事をするしかない。

と決意し、1年間働きました。

『生徒を囲うな、生徒は講師の所有物ではない。生徒は実力で惹きつけろ』

『単元は授業で完結させろ。宿題を多く出せば良いと思うな。それは自分が授業時間内で教えきれませんでした、と露呈するようなものだ。』

『生徒と同じくらい保護者を大切にしろ。お母様とは口説くくらいの勢いで接しろ。』

『電話は鳴った瞬間に取れ。その間に相手は2コール待っている。3コール目を待たせたらおしまいだと思え』

『生徒を第一に考えろ、生徒が正義だ』

全て先輩や上司から教わった言葉です。

後半は表現が過激ですが言わんとしていることはすごくよくわかります。

また、これだけは言えますが僕は去年あの職場で教育を含む、生徒や保護者に最も真摯であった自負があります。

そしてそれは結果に現れます。
2016年最も結果を出したのはアルバイトの中では僕でした。

もちろんその職場だけでなく他の校舎と比べても僕の出した結果は異次元だったと思います。

しかし、成長と破滅はコインの裏表のように表裏一体で、片方があればもう片方も存在するのです。

『僕はもうこの校舎の誰よりも優秀だ。もう僕は1人でやっていける。』

この自信はある種の破滅だったのだと今は思います。

こうして馬場航という塾講師はいなくなります。

教育は難しい

僕の言いたいことはこの一言に尽きます。

僕はどれだけお金を積まれても教師になる気は1ミリもありません。

よくこう言うと僕を良く知る人からは

『そうだな、お前には明確な法曹になるという夢があるからな』

と言われますが、そうではありません。

恐らく、僕が教師という職を選べば実力的にいうと全教師人口の1%以内に入れると思います。

ただ、僕は破滅した時にこうも思ったのです。

『しかし、今の教育システムでは大多数の生徒が不幸になってしまう。俺の生徒をシステムのバグにはさせたくない。』

だから僕は塾講師をやめました。

どんなに優れた講師になっても俺は全員の生徒を幸福にすることはできない。

ある意味で破滅というのは同時に挫折も意味していました。

成功したのに挫折なんて少し矛盾してる気もしますが。

一部の生徒や保護者の方から「先生が辞めてしまうのであればうちも辞めます」

と言われてしまったことも後日談としてある。

そんな感じで今は家庭教師の生徒が2人いるだけです。

教育には正解らしく見えるものが存在しますが、それは正解ではありません。

ここで最初の話に戻りましょう。
僕は「昔馬場という先生に教わっていて、すごく良かったからまたこの校舎を選びました」

と言ってもらえるような講師だったのか今となっては確かめようもない。

ただ、僕がいるから続けてくれる生徒や信頼してくださる保護者の方はいても、その校舎のブランドを背負えるほどにはなっていなかったような気がする。

だからこの言葉を聞いた時すごくハッとした自分がいました。

よく、塾講師をしていたと言うと、塾講師は良く高時給の割に時間外業務が多くて大変だよね、という話をされました。

しかし、それは時間外業務も含まれている、付随しているからこその値段なのだという風に思います。

そこには責任がある。だから塾講師は授業内ではもちろん、その他の場所でも最高のパフォーマンスをすることを強いられているのです。

そのサービスにお金を頂いているわけですから。

ユニバーサルアクセスが当たり前になってきた現在、勉強と人生は切っても切り離せない関係にあります。

人の人生を背負うというのは簡単ではないのだと思います。だから高い時給で働けるのです。

まあ、ここまで責任だなんだと言っていますが、僕はブラック万歳なので結局の所楽しんでいた、というのが大きいのかも知れません。笑

あと、最後まで残ると仕事場の同期や先輩とかとご飯食べに行けましたし、いいリフレッシュになっていましたし。笑

今、あの校舎はどうなっているのだろうか。
およそ5ヶ月ぶりぐらいにふと思いました。

【テスト最終日】vs.相続法

 

テスト最終日。

シロガネ山の頂上のラスボスを倒しにいく。

 

【相続】

 

まーじでヤバい。

 

科目2つ目。教科書の範囲は200pを超え、いちいち論点なんて覚えていたら大変なことになってしまう。というか時間が足りない。

 

かといって絞ると一撃で逝く、ということを去年の履修者から仕入れる。

 

というわけで、200pを重要箇所10個、20pへ圧縮作戦を敢行。そして20pを死ぬ気で暗記する作戦へ。

 

これで大外しはないだろうといっていた。

 

試験当日。

これだけ自信のない試験は初めてである。

 

しかし、その不安とは裏腹に1/10の賭けに勝ち、相続人の不存在についてサラサラと書けた。

 

変な所は出題されていないであろう。

ただ、特別縁故者の漢字が書けなかったのは痛恨のミスだったが、減点で済む、という話だったので温情采配に感謝である。

 

これにて、すべてのテストが終わった。

フル単は固いがあとはどれだけいい評価を取れているか、である。

また、テスト自体の感想はさすが駿河台といったところでなかなか一筋縄でいかない試験ばかりで試験時間中は頭を捻ることが多く、歯応えのある試験だったといえる。

しかし、ゼミの宿題というエクストラステージがあるのでまだまだ大変そうだ。

 

 

【テスト3日目】vs.契約法&中国法〜注文の多い出題〜

 

テスト3日目。こっからは難易度がグッと上がってくるはず。

 

【契約】

 

契約。テスト範囲をアドバイスに沿って4つぐらいに絞る。

 

結果出題はその内の1つではあったのだが、1番地味なやつだった。

 

契約の解除において、判例の考えに基づいて判断、学説展開、改正民法ではどうなるか?解除の趣旨に注目せよ。

 

という中々に注文の多い料理店こと、芦野軒であるが、ほぼ教授の話を聞いてないと解くことは不可能なレベルである。

 

解除の趣旨については、単独行為で形成権である、ということを書けということなのだろうがこれは偶然にも授業中にメモしていたので分かったが、果たしてどのくらいの生徒が民法総則の範囲である、解除の趣旨など覚えているのか、と首を傾げたくなる。

 

なんやかんやで45分程度で処理。来期からは一言一句メモするくらいの気概が必要である。

 

【中国法】

 

まじでヤバい

 

と思っていたが、国際法のゼミの友人がここでアシスト返しを華麗に決める。さすがは

 

法学部一の倍率を誇る人気ゼミ

 

といえる。

 

ほぼ、彼の言った通りの出題で難なくクリアー。この期間中もっともストレートな出題のテストだった。

 

ほぼ、歴史の問題であった。神。

 

なんと、契約の方が難しいという全世界驚愕の結末だった。が、中国法が取れてそうでなによりである。

 

明日はついにラスボス親族のみである。1科目だけで助かった。とてもじゃないが他の科目と並行して進めることなど不可能である。

 

 

 

 

【テスト2日目】vs.会社法&物権〜前半戦折り返し〜

 

文字通り前半戦折り返しの2日目。

余裕と目されていた2科目。

 

会社法Ⅱ】

 

範囲が前と同じ出し方で、3/10出題。いつも通り、友人と手分けをして8個の解答を作成する手段を敢行。

 

実際はというと、監査役について論述、423Ⅰ+と取締役会決議を独断でやっちゃうニキの事例、株主総会の決議の瑕疵の訴え3種類の論述という豪速球と変化球と緩い球を決めてくるあたりは流石、南保教授であると言わざるを得ない。

 

果たして監査役についてそれほどまでに極めた奴がいるのだろうか、とても気になる。実質2題出題。

 

ある程度勉強していれば3番目ほ条文写しで書けるのだが、あいにくその3種類は分かれど、そこから果たして何を書いていいのかわからないし、その程度書けてもBぐらいしかこないし、考えても時間のロスなので簡単に見えて書くことが長い2番を選択。

 

かなり端折ったが、結局裏面下部までいった。経営判断原則は書く必要がなかったと信じたい。

 

そんなこんなで50分で退出。マジでノー勉の人は逝ったかもしれないが、なんとなく勉強していれば単位をくれるあたり、流石であった。

 

昨日の事件のせいでみんなの会社法モチベが上がってるのは笑った。

 

【物権】

 

最終回において突如事例ではない、というカミングアウトにより筆者をどん底に突き落とした物権であったが、友人にcをとらせるというミッションのもとチャレンジ。

 

事前に177条、178条、192条が出る、ということだったが果たして。

 

出題は177と、192がなかったら、というものだった。

ひえー。なんじゃそりゃ。

 

が、しかし、原理原則に立ち返れば解けない例外など無い。と言い放った神田教授を信用し、そこを厚く書きながら、結論がブレないように書き終え、ミッション終了。

 

あと、まさかの感想20点て。感想書くとなると、それはそれで時間配分大変なんですけど!

 

全くとんでもない変化球である。しかし、そうは言ってもテストの読み自体は間違ってないので、友人もcは取れたんじゃないか、と言っていたので良かった。良かった。

 

【まとめ】

 

予定調和のようになんとか火曜日をクリア。ここからがクライマックスなので、これまで以上に気合を入れて臨んでいきたい。明日が最大の山場。契約と中国法である。